どんな論文が本当に治療効果を証明しているのか?
日本の新聞やインターネット上には、癌治療に関する記事や広告であふれています。その中には、新治療が発見されたとして研究論文の内容を紹介しているものや、販売している治療の効果を証明するために論文を引用していたりします。論文は科学的発見を証明するものですので、良く引用されて使われます。ただ、それらの記事や広告を見ていると、その論文の意味や価値を、本当に正しく理解しているのか疑問を抱くものも多々あります。
新治療を紹介する新聞記事では、かなり研究の初期段階にある治療をあたかもすでに効果が確認されたかのように書いていたりします。また、患者にとって大きな問題だと思うのは、イカサマ癌治療の広告です。本当は治療効果を明確に示している論文ではないものを引用して、治療効果があるように謳っていたりします。
一般の方は、研究論文が出ているということは効果がしっかりと科学的に証明されていて、信頼できる治療だと思います。ここに落とし穴があります。実は、論文には、新薬開発の途中段階の結果を報告しているものが多数含まれますので、論文があることが患者に対しての治療効果を本当に証明しているとは限りません。そのため「論文で効果を確認されています」という言葉で逆に騙されてしまうケースが多々あります。そこで今回は、論文の結果をどのように理解して、どのような論文であれば治療効果があると信用して良いのかについて解説したいと思います。
そもそも論文とは何?
論文とは、研究によって得られた学術的発見を報告するために書かれた文章です。研究者が何か新しい発見をした場合に、科学的根拠を示す実験データとともに、その内容を詳細に執筆して、医学雑誌に報告します。この論文は、医学雑誌に投稿されると、普通は専門家による審査を受けて、間違いを修正されたり、追加実験を要求されて、その内容が発表されます。新薬が特定の癌に効果を示すというような発見も、もちろん論文として報告されます。現在、標準治療として使われているようなお薬も、その保険適応の承認の根拠となった論文が必ず存在しています。
薬の開発プロセス
まず、今回の話を理解するために必要な基礎知識となる「がんの新薬が開発されるプロセス」について簡単にご説明させてもらいます。以前のブログ(未承認治療の何%が本当に効果を期待できるのか?)でも紹介した内容の復習です。以下の図を見てください。
新しく開発されたお薬は左のプロセスから効果があるかを順番に確かめられます。それぞれの段階をクリアーすると次の段階に行きます。最終的に第4段階を合格すると、正式な薬剤として承認されて、標準治療と言われるものになります。
第1段階は基礎研究になります。新薬を作成することや、新薬をがん細胞にかけて、殺傷効果がでるのかを調べます。また、マウスにがん細胞を移植したモデルで、新薬が腫瘍の抑制効果を得られるかを検証します。同時に副作用が動物にでないかも検討します。
第1段階で良い結果がでると、実際のがん患者さんに投与して効果を確かめる段階に進みます。臨床試験は3段階のシステムで効果を判定します。臨床試験Phase1では人に使用する場合の安全性と用量・投与回数などを検討します。安全なお薬ということがわかると、次に進み臨床試験Phase2で、実際の対象がんを持つ患者の少数のグループで、実際の治療効果が得られるかを判定します。
十分な効果が得られることが確認されると、最終段階の臨床試験Phase3に進みます。この試験が最も大事で、現在の標準治療(現時点で最も効果のある治療方法)と治療効果を比較します。この試験は数百人規模で行われることが多く、大規模な試験です。このPhase3試験で標準治療を上回る効果が確認されるか、同等な効果だが副作用がより少ないことが確認されると、新治療として承認されることになります。
論文の数
さて、この上の薬剤開発プロセスのどの段階で論文が出版されると思いますか?最終的な第4段階が終わるとまとめて発表されると思いますか?それとも、4段階の各段階が終わったところで論文が発表されると思いますでしょうか?実は、4つどころではなく、何十〜何百という論文がこの開発過程で出ることになります。
論文とは細かな発見の度に出される
新薬の研究とは平均7年近くかかる壮大なプロジェクトです。そのため、その過程では様々な研究がされて、その1つ1つの細かな発見のたびに論文が出されます。(特許を守るために意図的に出されないこともあります)
ここで一つ例をあげます。テモゾロマイド(Temozolomide: TMZ)という薬剤があります。このTMZは脳腫瘍の一つである神経膠芽腫(Glioblastoma: GBM)という腫瘍に効果が証明されていて、標準治療として患者に使われています。では、このTMZと神経膠芽腫に関した論文はいくつ出ているでしょうか?論文データベース(PubMed)でTMZとGBMをキーワードにして検索すると、過去に出版された論文の数はなんと3340もあります。1つの治療を開発するには膨大な科学的知識の積み重ねが必要であり、さらに確立された治療も様々な修正が試みられたりもするために、論文の数はどんどん増えることになります。
新薬開発段階で発表される論文
一般的な新薬開発の各段階で出る論文は以下のようなものがあります。
・薬剤を精製する方法についての論文
・薬剤がシャーレ上でがん細胞を殺すことを確認したという論文
・薬剤がどのような機序でがん細胞を殺すのかというメカニズムに関する論文
・薬剤を動物に投与するとどのような体内分布をするかという論文
・薬剤がマウスに作った癌を縮小できるという論文
・少数の患者に対して薬剤投与して安全性を確認した論文
・少数の特定の癌患者(例えばGBM)に投与して治療効果が得られるかという論文(Phase2)
・数百人の患者に対して今までの標準治療と比べて有効性があるかという論文(Phase3)
などになります。これはかなり省略していて、実際にはもっと多くの細かな論文があり、その結果として最終的に、患者に効果があるという結果になっています。
患者に対して有効ということを示した論文はどれか?
上記したような薬剤の開発段階で報告される多数の論文のなかで、患者に効果があるということを証明した論文はどれでしょうか?一般の人は、シャーレ上の腫瘍細胞に効けば良いのではとか、マウスで効けば十分ではとか、少数の患者で効いたというので十分だと思うかもしれません。実はいずれも証明にはなっていません。患者に有効という証拠は、最後のPhase3の論文だけです。厳密にデザインされたランダマイズコントロールスタディーという、大規模な臨床研究が行われて、数百人の十分な患者数に対して、今までの標準治療に比べて優位に効果があるということが示されたものしか十分な証明をしていることにはなりません。これ以外の途中段階の論文の結果は、たとえ良い結果だとしても、偶然に得られた結果の可能性が大いにあり、患者への標準治療とするには十分に信頼できる結果とは考えられません。
途中段階の論文に注意
以前のブログでも書きましたが、癌の新薬開発は大変に難しいものです。以下の図は、各開発段階に入った薬剤が最終的に効果を確認される可能性を示したものです。
細胞実験やマウス実験で効果を示されて、人に投与する段階の第2段階(Phase1)まで行ったとしても、最終的に効果があるのはたった3.4%です。そのため、この段階の有効性を示した論文はあくまで途中経過で、患者に本当に効くことの証明ではありません。また、この新薬開発プロセスを突破できずに、開発が途中で中止されたような薬剤でも、多数の途中経過の論文が発表されています。それらはすでに効果がないことがわかっているわけですが、過去の途中経過である程度の効果が見られたことは発表されています。それらを悪用されることすらもあるのです。
論文を悪用した嘘に注意
途中段階の論文というのは学術的には大変に価値があります。その結果の積み重ねはとても大事で、たとえ最終的に薬剤が有効とは証明されなくても、そこから新たなアイデアを生むこともあれば、その失敗から学び、次の成功につながることもあります。そのため、もちろん論文としての学術的価値は十分にあります。
しかし、困るのはそれらの途中段階の論文を引用して、イカサマ治療を売りつけることに使う悪い人たちがいることです。この食べ物に含まれる有効成分でがん細胞が死滅したとか、マウスに食べさせたら腫瘍が縮小したとか、10名の患者でこの食事療法を行ったら70%で腫瘍抑制があったとかです。これらは患者に有効という証明にはなっていません。ちゃんと知識のある医者や科学者にはわかることですが、一般人にはこの違いを見抜けない隙をついています。大変に気をつけてください。
マスコミ報道にも注意
日本の新聞などの報道にも注意が必要です。なぜだか分かりませんが、日本の癌治療に関する報道は、一般的には有効性がほぼ不明な第1段階(基礎研究)、第2段階(Phase1)にあるような治療を紹介していることがあります。最低でも第4段階(Phase3)に入っているレベルでないと、患者で有効になる可能性はとても低いわけですので、そのような治療を持ち上げて報道することには疑問を抱きます。報道には様々な意図も入っていますので、患者側としては報道に一気一憂しないで、どの段階にある治療か落ち着いて確認してもらいたいと思います。
最後にお伝えしたいこと
癌治療に関した論文をどう理解するかについて解説いたしました。論文とは、新薬開発の様々な段階にある研究を報告しています。論文内容がどの段階における研究結果を報告したものか、良く確認してください。特に、論文を悪用したイカサマ癌治療の宣伝にご注意ください。途中段階の研究結果を引用して、あたかも患者に対しての十分な有効性が証明されたかのように使われています。細胞レベルやマウスレベルの有効性、数十人程度の少数の患者への有効性は十分な効果の証明とはなりません。それらのデータが出ている広告には十分にご注意ください。